本記念館の建物は、明治41年(1908)小児科専門として開業した讃井源次郎によって、大正11年(1922)に、親族の医師らとともに内科、歯科を増設しながら、総合病院として、10年の歳月をかけて建造されたものです。
讃井病院展示コーナーでは、当時の病院内の様子なども紹介しています。
記念館の建物は、明治41年(1908)小児科専門として開業した讃井源次郎によって、大正11年(1922)に、親族の医師らとともに内科、歯科を増設しながら、総合病院として、十年の歳月をかけて建造されたものです。 讃井病院展示コーナーでは、当時の病院内の様子なども紹介しています。
近年、近代史上貴重な歴史資料が各地の向野家に保存されているのがわかってきました。しかしながら、代を重ねるにつれ、それらの資料が廃棄されたり散逸する可能性も大きくなってきています。資料を一括して保存しておき、後世の研究者や郷土史家たちに伝えたいという願いにより、向野堅一に関する文物保管を目的に向野家文物保存庫として、向野家発祥の地である直方の地にある旧讃井病院を向野康江氏が購入しました。(以下、旧讃井病院を向野堅一記念館と呼ぶ)向野堅一記念館はセセッション風の3階建ての洋館で、大正11年築の歴史的な建造物です。向野家の人々とも縁が深かった讃井源次郎氏を犬養毅首相が訪れた屋敷でもあり、直方の繁栄を示す文化的な側面を所持しています。直方市古町商店街から直方市役所に通じる殿町に洋館街の中心地にあり、炭鉱集積地として栄えた歴史的な街の遺産といえるでしょう。