kenichi

生い立ち

堅一

 向野堅一は、明治元年9月4日、新入村に生まれる。遠き満州にその名を残し、終始一誠、人を愛して、国を憂いては命をかけた不屈の男である。修猷館から日清貿易研究所へ進学。日清戦争のとき、特別任務を命ぜられ、任務に従った者のうち、ただ一人だけ九死に一生を得て、使命を果たした。

これからは「商業の時代である」という信念をもって、北京・大連・奉天を舞台に、日中合資の正隆銀行、満州市場株式会社などを設立し、満州経済界を指導する。昭和6年9月17日、東京で逝去。満州事変勃発の前日であった。

 台湾仏教布教にも活躍。奉天に大義寺を建立し、民族を超えて戦没者をまつる。書画・篆刻・謡曲をたしなむ芸術愛好家でもあった。旗袍(チーパオ)を纏うその凛々しい姿は、今、私たちに何を語ろうとしているのだろうか。黄塵を馳せ、アジアの平和を願いつつ、奉天の街をつくったつよくやさしい日本人・堅一の、その想いを伝えるため、この記念館を創設した。

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